沖縄学徒隊慰霊ピースラン(2015)に参加しました。

平々凡々

2015年06月28日 17:52



先日、6月23日に開催された、「沖縄学徒隊慰霊ピースラン」に参加してきました。

自分は2年前に続き、今回(2回目)参加させてもらいました

この企画は今年で12回目になるとのことです。

「走る落語家」の三遊亭楽松師匠が中心となっていて、6月23日は奥武山公園から沖縄の学徒慰霊碑を走って、巡りながら摩文仁まで 向かいます。

楽松師匠は例年その前に来沖して、北部、中部、那覇市内の学徒慰霊碑を巡っていますが、今年は70年ということもあって、なんと北海道稚内市の宗谷岬を5月8日に出発して日本縦断したとのことです

まさに鉄人

話は戻って6月23日は午前7時45分奥武山公園集合。



参加は30名でしょうか

TNKさんら車4台で給水サポートをしてくださいます

全員集合して説明がありました

楽松師匠です



午前8時過ぎスタートしました

  

豊見城、糸満方面へ向かいます



サポート車が先回りして、途中2、3kmごとに給水



非常にありがたいです

バイパスから豊見城市豊崎方面へ



天気は

景色は良いですが、とても暑いです



糸満市に入り、沖縄水産高校に到着。



まず最初は 沖縄水産高校の慰霊碑「翔洋碑」です。

  

学校の慰霊祭がありました。

お参りさせてもらいました。

休憩の後、またスタート



西崎ロータリーなど糸満市の中心部を抜けてました

途中休憩、給水をとりながらゆっくりの



ただ、コースは必ずしも平たんではなく「坂ラン」もありです

 

炎天下の坂ランはキツイですね~

さらにゆっくり

次は白梅之塔へ向います。



白梅之塔です。

  

白梅之塔は「沖縄県立第二高等女学校」の白梅学徒隊で、46名の生徒のうち22名が戦死したそうです。

お参りさせていただきました。

 

さらに南へ

途中休憩です



さらに

糸満市米須のコンビニで休憩



ちょうどここで、正午になるので黙とうすることになりました。



さらに       



次は、有名なひめゆりの塔へ向かいました。

沖縄戦の学徒隊といえば、映画化もされたことのある「ひめゆり学徒隊」、「ひめゆりの塔」がとても有名で、資料館などもあります。

  

ひめゆり学徒隊は、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校で、動員数297名のうち戦没者を224名(諸説あるようです。)だそうです。

ひめゆり資料館は沖縄の「観光コース」にもなっているのでいつもいっぱい人がいます。

自分も資料館に何度も訪れたことがあります。



慰霊碑に参拝させていただきました。

   

しかし、ひめゆりにはたくさんの人が来てお参りするのにその隣にあって、駐車場として利用してて、その目の前にも「梯梧の塔(でいごのとう)」があるにもかかわらず誰も参拝しないと三遊亭楽松が強調しておっしゃっていました。正直いって自分も2年前までは「梯梧の塔(でいごのとう)」というのがあることを知りませんでした

 

「梯梧の塔」でも参拝させていただきました。

 

  

「梯梧の塔」は、梯梧学徒隊として動員され犠牲となった9名を含む、私立昭和高等女学校の戦没教職員、生徒あわせ62名が祀られているそうです。
こちらは、遺族、同窓生の高齢化などで数年前から組織的な慰霊祭は行われていないそうです。

ピースランは、次に「ずゐせんの塔」へ向かいます。

 

県立首里高等女学校の前身、県立女子工芸学校(戦時中に学校名が首里高等女学校にむなったそうです)の4年生61名が看護学徒隊として動員され、そのうち33名が戦死したそうです。学徒隊以外に生徒22名、計55名が戦死しているとのことです。

参拝、合掌させていただきました。

さらに平和創造の森方面へ炎天下ラン

 

つづいて開南健児の塔へ



開南中は昭和11年に開校した私立中学で 戦後復活することなく9年に満たない歴史にて消滅した中学校だそうです。
71名の学徒兵が従軍し、うち67名が戦死したそうです。

  

お参りさせていただいたあと、みんなで昼食タイム



休憩の後、また、国道331号線まで折り返し

しかし、時間がおしていて、午後2時すぎまでに「平和祈念公園」に到着しなければ、送迎バス(午後2時30分が最終らしい)に間に合わない危険があり、炎天下で暑い中ペースアップ



次は、沖縄師範学校男子部の「沖縄師範健児之塔」へ

  

鉄血勤皇師範隊として動員された教師24名、生徒386名のうち、教師9名、生徒226名のが戦死。学徒隊以外に教師10名、兵役で招集された生徒64名、計309名が戦死したそうです。
   
  

学校は、戦後の日本本土との行政分離によって学校の歴史に終止符をうったそうです。

健児の学徒が自決した壕が健児の塔の裏手にあります。

さらに 摩文仁の丘にむかって。

ここから急な「坂ラン」ならぬ「急坂階段」の出現
 
 

めちゃめちゃきつかったです 

階段を上るときれいな景色が広がります。

 

景色は大変いいのですが、当時は学徒、民間人、兵士を問わず追い込まれた人々が飛び降りたそうです。

さらに進みます。



平和祈念公園が見えてきました。

公園内にも多くの慰霊碑などがあります。

平和の礎(いしじ)です。

  

最後に訪れたのが、沖縄工業学校(現在の県立沖縄工業高校)の「沖縄工業健児之塔」でお参りしました。

 

工業鉄血勤皇隊・工業通信隊として動員されて、動員された教師7名、生徒97名のうち、85名が戦死。学徒隊以外に生徒70名、計165名が戦死したそうです。

なんとか 午後2時過ぎにゴール。

今年も 暑い中の長いランでしたが、とても考えさせられました。

このピースランは 「走って平和になるのではない、平和だから走れるのだ」というキャッチフレーズとのことでしたが、普段なかなかこういうことを考えることが無くなっているので、とてもいい機会でした。